障害者用駐車スペースに2台の外車が止まっている。
そのうちの「CHRYSLER」は降りる親子3名を見ていた。
普通に3名とも歩いている。
後ろに回り「障害者マーク」が貼り付けられているかを確認したが、それもない。
「多分、付け忘れたのかな?」とも思ったりして店内に入り買い物を済ませ車に戻ろうとしたら
今度は「New BEETLE」のコンバーチブルは止まっていた。
しかもピカピカに車は輝きタイヤも結構いいのをはいている。
が前後何気に確認しても「障害者マーク」は付いていない。
・・・・・
私の思い過ごしであればすみませんです。
ここ数ヶ月、沖縄でもJUSCOやサンエーなど大型ショッピングセンターに行った際、何度か「障害者専用駐車スペース」に他の車の駐車スペースが満杯にもかかわらず、「開けられて」いる光景を見てどことなく安心というか常識のある人たちが多くなったんだなぁ~と心が温かくなるのを感じていた矢先のこの光景。
思うんですけど、車は走るもの。
いつかはキズはつきます。
人間がこの世に生きるのと同じで車は走り人間は生きる。
(変なたとえですけど)
その課程でいろんな事が起こります。
だから人間で言えば「友」が支えてあげ、車で例えれば「修理工場」や「ディーラー」のメンテナンスが
車のキズを治してくれるのかと思うんですよ。
生きる=走る⇒キズ付く⇒治す・修す・治される・修される。
そんなもんじゃないかな?
車椅子を使うのでやはりスペースは普通のそのスペースよりははるかに広く、隣の車からのキズを付けられる心配はない。
これは車から車椅子を取り出しそれに乗る為には広いスペースが必要だからスペースが広く取られているのです。
実際、「障害者用駐車スペース」で車から降りてくる障害者の方が1人で車から車椅子を機械かなにかで車の外に出し、紐につかまり車から車椅子に乗り込む様子を観たことがある。
「こうするために広いスペースが必要なんだな!」と改めて「障害者用駐車スペースの広さ」を認識したもんだ。
だから障害者の方々が車を運転し健常者と同じように気持ちよく買い物をするためにはやはり「障害者用駐車スペース」は必要。(当たり前のことですけど・・・)
誰しも自分の愛車にキズは付けたくはない!付けられたくはない!と思っています。
でも障害者でもないのに「障害者用駐車スペース」に車を止めるのはいかがなものかと思ったりする。
他に駐車スペースがあるのに。
(実際この日も駐車スペースはありました。ただ障害者駐車スペースより約20m離れてたけどね)
障害者の方々を差別する意味で書いたわけではないです。
ただ、「若干普通の方々と比べて体の動きが不自由」なだけ。
だから五体満足な我々健常者はそういった方々
にも思いやりの心を向ける大人な心になるべきではないかな?
今日のブログは日ごろ感じていたにもかかわらず私自身の中で「これは私の見間違いなんだよ!」と一種書く事をタブー視していたのをこの光景を見て思わず書かずにはいられなかったのです。
この光景が私の勘違いであれば心からお詫びいたします。